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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第24主日

《A年》
 93 心を尽くして神をたたえ
【解説】
 冒頭、個人の感謝から始まる詩編103は、その美的表現、豊かな思想から、旧約の「テ・デウム」(⇒「賛美の賛
歌」)と呼ばれています。全体は大きく3つの部分に分けられます。第一の部分は1-7節で、ここでは神による赦し、
いやしが述べられます。続いて、それを動機として、8-19節では神のいつくしみをたたえ、最後にすべての被造物
に神を賛美するように呼びかけます。神がシナイ山でモーセにご自分を顕現されたとき、神ご自身「主、主、憐れみ
深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」(出エジ
プト34:6-7)と宣言されたように、恵みといつくしみとは神の属性であり、神との関係が修復されるときは、まず、
神のほうから許しを与えてくださるのです。
 今日の第一朗読でも福音朗読でも、また、この詩編でも、神の大きな赦しと小さな咎を許せない人が共通の主題に
なっていると思います。わたしたちは、神からいくつもの罪を赦していただいているにも関わらず、兄弟姉妹の小さな
咎に腹を立ててしまいがちです。「復讐するものは、主から復讐を受ける」と第一朗読で言われているように、いづ
れ、神から大きなしっぺ返しを受けないとも限らないのではないでしょうか。
 答唱句は、前半、後半ともに、旋律が主に音階の順次進行によって上行します。「心を尽くして」と「すべてのめぐみ
を」が、付点四分音符+十六分音符のリズムで強調されています。さらにこのどちらも、旋律の音が同じばかりでな
く、和音も位置が違うものの、どちらも4度の和音で統一されています。「かみをたたえ」は、「かみ」の旋律で、前半
の最高音C(ド)が用いられ、祈りが高められ、バスでは「かみをたたえ」が全体での最低音F(ファ)で深められていま
す。また、この部分はソプラノとバスの音の開きも大きくなっています。なお、「たたえ」は、バスでFis(ファ♯)があり
ますが、ここで、ドッペルドミナント(5度の5度)から、一時的に属調のG-Dur(ト長調)に転調して、ことばを強調して
います。後半の「こころにとめよう」は、旋律が全体の最高音D(レ)によって、この思いが高められています。
 詩編唱は、最初が、答唱句の最後のC(ド)より3度低いA(ラ)で始まり、階段を一段づつ降りるように、一音一音降
り、答唱句の最初のC(ド)より今度は3度高いE(ミ)で終わっていて、丁度、二小節目と三小節目の境で、シンメトリ
ー(対称)となっています。
【祈りの注意】
 早さの指定は四分音符=69くらいとなっていますが、これは、終止の部分の早さと考えたほうがよいでしょう。こ
とばと、旋律の上行形から、もう少し早めに歌いだし、「心を尽くして」と「すべてのめぐみを」に、力点を持ってゆくよう
にしたいものです。決して、疲れて階段を上がるような歌い方になってはいけません。この答唱句の、原点は、イエス
も最も重要な掟と述べられた(マタイ22:34-40他並行箇所)、申命記6:5「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を
尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」によっていることを思い起こしましょう。
 「すべての恵み」で、何を思うでしょうか。わたしたちが神からいただいている恵みは はかりしれません。毎日の衣
食住、ミサに来れること、友人との語らい、家族団らんなど、さまざまな物事があるでしょう。わたしが、この世の中に
生まれてきたことも大きな恵みです。、しかしこの「すべての恵み」を、端的に言い表しているのは、「主の祈り」では
ないでしょうか。「主の祈り」のそれぞれの祈願こそ、神が与えてくださる最も崇高で、最も大切な恵みではないかと
思います。これらのことを集約した祈りであるこの答唱句を、この呼びかけ、信仰告白にふさわしいことばとして歌い
ましょう。
 二回ある上行形は、やはり、だんだんと cresc. してゆきたいものですが、いつも、述べているように、決して乱暴
にならないように。また、音が上がるに従って、広がりをもった声になるようにしてください。一番高い音、「かみをたた
え」、「心にとめよう」は、丁度、棚の上に、背伸びをしながらそっと、音を立てないで瓶を置くような感じで、上の方か
ら声を出すようにします。「かみをたたえ」でバスを歌う方は、全員の祈りが深まるように、是非、深い声で、共同体の
祈りを支えてください。
 また、具体的には、第一朗読の主題句「隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、願い求めるとき、おまえの罪は
赦される」をはじめとする第一朗読全体や、この後、朗読される福音朗読にある主君のことば、「おまえが頼んだか
ら、借金を全部帳消しにしてやったのだ」という、神の大きな恵みを思い起こしたいものです。
 この恵みの頂点は、やはり、パウロが『コリントの信徒への手紙』で述べている、「キリストが、聖書に書いてあると
おりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(1コ
リント15:3-5)=受難と復活、そして、その前の晩に弟子たちとともに過ごされた、最後の晩さんの記念=ミサで
あることは言うまでもありません。ミサにおいて、この答唱句を歌うことこそ、この答唱句の本来のあり方なのです。
 「すべての恵み」でテノールが、その最高音C(ド)になりますが、これが全体の祈りを高めていますから、それをよく
表すようにしてください。
 最後の rit. は、最終回の答唱句を除いて、それほど大きくないほうがよいかもしれません。最終回の答唱句は、
むしろ、たっぷり rit. すると、この呼びかけに力強さが増すのではないでしょうか。
 詩編唱を先唱される方は、特に、今日の第一朗読と福音朗読を前もって味わっていたいただきたいと思います。す
でに述べたことが、3つの詩編唱で唱えられますから、これ以上言うことは、まさに蛇足でしょう。
 わたしたちが神からいただいている恵みははかりしれませんが、往々にして、わたしたちは、その恵みに対する賛
美と感謝を出し惜しんでいるのではないでしょうか。いただいた恵みを思い、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」
神に賛美と感謝をささげたいものです。
【オルガン】
 前奏では、上行音階を活き活きとさせましょう。ここが、だらだらしていると、会衆の答唱句も、ずるずるとしてしまい
ます。また、「つくして」、「めぐみを」の付点八分音符+十六分音符は、やや、鋭くしたほうがよいかもしれません。ス
トップは、やはり、明るめのものがよいでしょう。基本的には8’+4’でよいと思いますが、会衆の人数によっては、
2’を入れてもよいでしょうし、最後の答唱句だけ、2’を加えることも考えられます。オルガンの伴奏も、一番大切なこ
とは、いただいた恵みを思い、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」神に賛美と感謝をささげること、すなわち、オル
ガン奉仕者が、奉仕の賜物として、その恵みを与えられたことを、心から神に感謝することでしょう。

《B年》
 11 荒れ地のかわき果てた土のように
【解説】
 詩編116は82「神を敬う人の死は」や97「このパンを食べ」でも歌われます。過越祭の時に歌われた、「エジプト
のハレル」の一つで、死、すなわち神への賛美から離れた状態からの解放を求め、その願いが聞き入れられたこと
への感謝が歌われます。本来は、おそらく、神殿において、感謝のいけにえをささげるときに(レビ7:16参照)歌わ
れたと思われます。なお、七十人訳(しちじゅうにんやく)とヴルガタ訳では、この詩編唱で歌われる9節までを詩編1
14とし、この9節のあとに「ハレルヤ」を加えています。
 答唱句では、旋律、伴奏ともに音階の順次進行や半音階を多く用いています。これによって、荒涼とした荒れ地の
様子が表されています。とりわけ「土のように」では、バスが最低音になり、荒れ地の悲惨さを強調します。後半は、
「かみよ」で、旋律が四度跳躍して、神を慕う信頼のこころ、神へのあこがれを強めます。なお、『混声合唱』版の修正
では、「あなたを」のバスの付点四分音符は、C(『混声合唱』版の実音ではD)となります。
 詩編唱は、ドミナント(支配音=属音)のGを中心にして唱えられます。どの節でも一番強調されることが多い、3小
節目では、最高音Cが用いられています。4小節目の最後の和音は、F(ファ)-C(ド)-G(ソ)という「雅楽的な響
き」が用いられていますが、バスが、答唱句の冒頭のE(ミ)への導音となり、その他は、同じ音で答唱句へとつなが
ります。
【祈りの注意】
 答唱句、特に前半は、荒涼とした荒れ地の様子を順次進行や、特に半音階で表しています。レガート=滑らかに歌
いましょう。「あれちのかわきはてたつちのように」で、太字の母音「A」は喉音のように、赤字の子音はかなり強く発
音します。また「あれち」は、sf =一瞬強くし、すぐに、弱くします。このようにすることで、荒涼とした荒れ地の陰惨
さを、祈りに込めることが、また、この答唱句の祈りを、よりよく表現できるのではないでしょうか。前半は、「~のよう
に」と答唱句全体では従属文ですから、「れ」以外 p で歌います。和音も従属文から主文へと続くように、五の和音
となっています。
 後半は、この答唱句の主題です。「かみよ」の四度の跳躍で、「か」の部分は、その前の和音の続きで五の9の根
音省略形、「みよ」はどちらも主和音で力強さが込められ、p から、一気にcresc. して、神への憧れを強めます。そ
の後は、f ないしmf のまま終わりますが、強いながらも、神の恵み、救いによって「豊かに満たされた」こころで、穏
やかに終わりたいところです。
 今日の福音朗読は、キリストご自身の受難予告で、第一朗読はその予型です。主の僕は、不当な扱いを受けます
が、最後は、神によって死から救われます。詩編唱も、その確信=「三日の後に復活することになっている」を歌いま
す。わたくしたちも、洗礼によって、キリストの死と復活に結ばれています。詩編唱を歌う方も、それを聞くわたくしたち
も、その確信をさらに深くこころに刻み付けたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばからしても、フルート系のストップが妥当でしょう。基本的には8’だけ、会衆が多ければ、答唱句で
は、Swell の8’もコッペル(カプラー)でつなげて弾くと良いでしょう。パイプオルガンでは、「あれち」の sf を表現す
ることは難しいですが(ペダルを使っている場合も同様です)、ペダルがないハルモニウム(リード・オルガン、足踏み
オルガン)では、表現することができます。
 手鍵盤だけで弾く場合、答唱句は、すばやい持ち替えや、手を滑らすなどの、熟練を要します。じっくりと、考えて、
時間をかけて練習しましょう。このような練習は、会衆の祈りが、この答唱句の信仰告白にふさわしくなるように、す
るためです。会衆が良く祈るためには、オルガンがよく祈らなければなりません。オルガンがよく祈るには、オルガン
奏者が深く祈っていなければならないことを忘れないようにしましょう。

《C年》
 6・7 あなたのいぶきを受けて
【解説】
 今日の答唱詩編は詩編51が歌われます。この詩編は回心・ゆるしが主要テーマです。詩編の表題の1・2節に
は、「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」(サムエル記下11:1
~12:15参照)と記されていて、旧約時代以来、ダビデの歌とされていますが、実際にダビデが歌ったかどうかは定
かではありません。回心の七つの詩編の一つで(他に詩編6、32、静38、102、130、143)、神に赦しを願い、罪
からの清めと神のいぶき(聖霊)による聖化を求め、典礼(神殿祭儀)での感謝と賛美を神に約束します。
 答唱句の旋律は、冒頭、最高音部から始まり、次第に下降することで「あなたのいぶき」すなわち神のいぶき=聖
霊を願い、それが、天から降り、与えられる様子が表現されます。また、アルトとバスは主音のEs(ミ♭)を持続し、神
へのゆるぎない信頼と、回心の強い決意が表されています。後半は、同じ音の動きが3度下のG(ソ)から始まり、わ
たしたちが新たにされることが、とりわけ「あたらしく」のバスで最低音を用いることで、謙虚に示されています。旋律
も和声もシンプルですが、それによって、ことばが生かされ、祈りが深められます。
 詩編唱和は、旋律の終止音であり、また、最低音でもあるEs(ミ♭)から始まり、2小節目の後半はAs(ラ♭)、4小
節目の最後はB(シ♭)というように、嘆願のことば、あるいは、信仰告白のことばが歌われる部分で、前半、後半、
それぞれの最高音を用いることで、ことばを強調し、叫びを高めています。
【祈りの注意】
 答唱句の指定速度は、四分音符=63くらい、ですから、それほど早くも遅くもない速度です。ことばの持つニュアン
スから言うと、「荘重に」歌うようにしたいものです。特に、後半は、静かで謙虚なこころの中にも、荘厳さがあるとよい
でしょうか。答唱句は、それぞれの詩編唱に対して、こころから「あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる」こと
を、言い表しましょう。バスの下降もこれらを助けています。
 詩編唱は、上にも書いたように、答唱句の終止音で、かつ、最低音であるEs(ミ♭)から始まります。最初は、こころ
の深みから、詩編で歌われる回心のことばを、神に告白しましょう。音の強さとしては、mp から始めるのがよいと思
いますが、それは、あくまでも音量であって、告白するこころが真剣な力強いものとなることは、言うまでもありませ
ん。このことばは、詩編を歌う人、個人のことばであるばかりではなくと、その共同体、そのミサに参加するすべてに
人のこころを言い表しているものでもあることを、忘れないようにしたいものです。2小節目の後半と4小節目の最後
には、上にも書いたように、神への嘆願のことば、信仰告白のことばが歌われますが、ここは、「あなたのいぶきを受
けて、新しく」されたわたしたち一人ひとりの持つ、神へのゆるぎない信頼を込めて神に呼びかけてください。なお、
答唱句が異なることから、番号が6と7とになっていますが、詩編はどちらも同じ51です。6の1節と7の1
節および3節が、今日の詩編ですので、6、7のどちらかを省略することのないようにしてください。
 第一朗読では、シナイ山の麓で、モーセを待ちくたびれたイスラエルの民が、金の子牛を作り、それを「エジプトから
自分たちを導いた神だ」として礼拝しようとすることに対する、神の怒りがあらわにされます。それに対し、モーセは、
ご自身が選んだ民と祖先に対する約束を思い起こして、災いを思いなおすように説得します。この後、モーセは山を
下り、イスラエルの民に対し、金の子牛を神とするか、まことの神を礼拝するか、二者択一を迫ります。その結果、金
の子牛を礼拝しようとしたものたちは滅ぼされ、モーセに従った人々は、災いから逃れることができました。しかし、こ
れには、まことの神に立ち返るという、根本的な回心が必要となります。詩編は、この、神への立ち返りを思い起こし
ながら歌われます。イスラエルの民は、確かに「かたくなな民」でしたが、そのイスラエルの中から、救い主が生まれ
ました。新しいイスラエルである教会共同体の一員であるわたしたちも、日々、神に立ち返る恵みを願いながら、今
日の詩編を心に刻み付けるよう、祈ってゆきたいものです。
 【オルガン】
 回心は、暗く沈んでいるのではなく、神に立ち戻ろうとする、心を神に向けなおすものですから、それをあらわすよう
な音色を考えてください。派手ではないものの、やや明るめのストップを選択すると、答唱句のことばが生きてくるの
ではないでしょうか。主日のミサですから、8’+4’が基本でしょう。とはいえ、プリンチパル系のストップでは、音が
大きすぎるきらいもあります。
 前奏は、神の霊が降ってきて、わたしたちのすべてを新しくするように、活き活きとしたいものですが、早すぎたり、
あわてたものではないことは言うもまでもありません。



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